またしても戯言(笑)
気づいたのは自分が相手をどう思っていても、ある瞬間にネガティブなイメージが浮かぶということ。
例えば、相手に何かしようと思った時(もちろん普通は喜ぶであろう事)。
自分が居ない所で何か言われているかも知れないと思う。
別に相手はそんな風に思わないだろうと思っていても、突然そういうイメージが浮かぶ。
色々考えた結果、自己否定感が根底にあるのだろうという結論に至った。
自己否定感と、それから生まれる被害妄想。
自分の評価が低いことも自己否定感が原因だと思う。
これを覆さない限り、変わることはできない。
仕事中に安定してるのもこれが原因。
自分が居なくても仕事はまわるのは理解している。
ただ、そこに一定の評価が生まれているから、自己否定感が緩和されるんだろうなと。
ドライな部分があるからこそ、評価を素直に受け取っているんだと思う。
逆に友人関係だと素直に受け取れない。
付き合いがあるからという理由で受け入れられているだけじゃないかと思ってしまっているんだろう。
そんな事はないと思いたいが、どうしてもそうならない。
付き合いの長い友人たちなら、それをクリアしているから問題ない。
正直「何を今更」って話で(笑)
ここ1年ほどで仲良くなった人たちに対してはまだそこまでの信頼が持てていないんだと思う。
もちろん「何を今更」と思われているんだろうが…
申し訳ない限りだ。
こんな奴(この時点でダメ)の相手をしてくれているということは、それなりに気に入ってくれているのだろう。
それは理解している。
理解しているだけで、腹に落ちていないからそんな風にネガティブなイメージが浮かんでしまうんだろうなと。
それでも相手をしてもらって、評価をしてもらっていることには感謝してる。
じゃなきゃここまで考えることすらままならなかっっただろう。
未だに何も変わらず、鬱々と過ごしていることが容易に想像できる。
ここまで自分と向かい合えたのは、今一緒に遊んでくれる人たちのおかげ。
昔の友人達は俺の事を受け入れすぎて、変わるきっかけにはならない。
もちろんそれはありがたい事だけど。
変わるきっかけをくれた人、変わろうと思える環境をくれた人たちが居るから変わりたいんだと思う。
でも、心の奥底にこびりついている自己否定感を拭い去るにはまだ時間がかかりそうだ。
やっぱり傷付くのがこわい。
どんな些細な傷でも致命傷になってしまいそうで…
だから先に逃げたのかもしれない。
後付けで理由を考えらることはできるけれど、本質はそこなんだろう。
単にこわかっただけ。
表面上は大丈夫だけれど、自分で思うより傷は深いのかもしれない。
まあ、空元気も元気のうちと言うし。
もう少し気楽に考えたほうが良いかもしれんな。