2011年2月12日土曜日

鉄道話


まずは「和歌山電鐵」について。

何と言うか、路線自体が観光資源として機能している感じ。
終点の貴志駅も駅舎を新築して、観光資源化されているんだけど、それは重要ではないと思う。

よく言えば成功。悪く言えば浮いてる。
日常生活で利用されているものが突然エンターテイメントになったら困るだろうっていう。

第一に存続なのだろうから、そこを理解したうえで日常的に利用してるなら良いんだけどね。
そうじゃない人もいるんだろうなぁ。

たま駅長も相当御高齢なのとお疲れのようで、ほとんど寝てました。
偶然起きたタイミングで写真が撮れたのでUP。

きっとこんな生活予想してなかったんだろうな。
そしてこの奇跡の駅長殿が居なくなってしまった後が本当の貴志川線の戦いなんだろう。





さて、もう1つのローカル線「紀州鉄道」

乗ってて淋しくなった。
通勤・通学時間帯ではないというのもあるんだろうけど、同じ地域のローカル線でこうも違うのかと。

なによりも淋しかったのは終着駅。
その先に延びる線路を見たときにかなり来るものがあった。

きっとこれ以上長くても、短くてもこの路線は存続できないんだろうな。

他のローカル線でも、こういう光景を見る。

終着駅から先に延びる線路。

「好きで短くなったわけじゃない。もともと短かったわけでもない。そうしないと生きていけなかったんだ。」

紀州鉄道にそう言われた気がした。